2014年5月27日 自由権規約委員会 委員長 殿 提出団体 DPI 女性障害者ネットワーク DPI(障害者インターナショナル)日本会議 優生手術に対する謝罪を求める会 全国「精神病」者集団 SOSHIREN女(わたし)のからだから(旧名称:'82 優生保護法改悪阻止連絡会) 国際人権規約(市民的および政治的権利に関する国際規約〈自由権規約〉)に基づく 第6回政府報告に対するパラレルレポート 自由権規約の関連する条文 第9条(身体の自由及び安全についての権利)への侵害 第 23 条(家族を形成する権利)への侵害 日本は、本年(2014 年)1月、障害者権利条約を批准した。同条約前文と6条は障害のある女性と少 女への複合差別の認識と権利の平等、エンパワメントを掲げ、第 23 条(家庭及び家族の尊重)には、「障 害者が他の者との平等を基礎として生殖能力を保持すること」が明記されている。私たちは、日本の条 約批准が実現した今、あらためて、日本政府が 1998 年に開かれた第 64 回会期国連規約人権委員会から 受けた勧告の後、必要な措置を講じていないという現状を重大な問題だと受け止め、ここに現状をレポ ートする。 日本では、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことを目的に掲げた旧優生保護法(1948 年〜1996 年)が、遺伝性疾患や障害を理由とする不妊手術と人工妊娠中絶を合法とし、不妊手術は強制 的に行うことも認めていた。本人の同意を得ずに行われた強制不妊手術の被害者は、公式統計だけでも 約 16,500 人にのぼることが明らかになっている。その約 70%が女性であった。 旧優生保護法が遺伝性疾患や障害を理由とする不妊手術を合法としたこと自体が、人権侵害であった。 さらに、同法の存在を背景に、多くの障害女性に対して子宮摘出や卵巣への放射線照射が、当事者の意 思に反しあるいは十分な説明もないまま医療行為と偽って行われた。 DPI 日本会議は 1998 年 10 月、第 4 回日本政府報告に対するカウンターレポートに上記を記載して提出 した。これについて第64回会期国連規約人権委員会は同年、日本政府に対し最終見解 31 項で、次のよ うに勧告した。 「委員会は、障害をもつ女性の強制不妊の廃止を認識する一方、法律が強制不妊の対象となった人た ちの補償を受ける権利を規定していないことを遺憾に思い、必要な法的措置がとられることを勧告す る。」 この勧告に対して日本政府は第5回報告で、旧優生保護法に基づき不妊手術が強制的に行われていた ことを認めた上で、それが適法であり、同法が改正されたことにより、過去にさかのぼって補償するこ とは考えていないとした。また子宮摘出については、不妊手術の術式として認めていなかったと述べる にとどまった。今日まで、日本政府は被害を受けた人たちについていかなる調査も補償も行っていない。 政府が旧優生保護法による強制不妊手術を「適法」として、何の補償も行わないことにより、過去に 強制不妊手術を受けさせられた人への権利の侵害が現在も継続している。また、障害者の性と生殖の権 利侵害が、今後も発生するおそれが充分にある。 2 日本の民間団体や研究者が行った調査で明らかになった、障害者の性と生殖の権利侵害の事例を要約 して以下に紹介する。旧優生保護法の改正後にも、障害を理由として中絶を勧められた事例がある。 〇私たちが把握している障害のある女性の事例 a.10 代の頃、旧優生保護法にもとづく不妊手術を受けさせられた。親が同意を強いられ、本人には何の 説明もなかった。生理時の激痛やだるさなど不調があり、子どもを産めないことが原因で離婚を繰り返 した。(1960 年代前半のこと。精神障害のある女性) b.初潮前の 12 歳で、何も知らされずに子宮摘出手術を受けた。15 歳頃、生理が始まらないことを不審に 思い、問い詰めて手術の内容をはじめて知った。(1960 年代後半のこと。肢体障害のある女性) c.自分の障害を理由に姉の縁談が破談となったことから施設への入所を考えた。施設の職員に「自分で 生理の始末ができなければ入所できない」と言われ、20 歳の時に卵巣への放射線照射を受けた。その後、 体の不調が続き、今も重症の骨粗鬆症から全身の痛みに苦しむ。医者は、不妊手術の後遺症だと言う。 (1960 年代後半のこと。肢体障害のある女性) d.9 歳の時から養護施設に入所。多くの職員が重度の障害女性の生理介助の際、嫌悪する態度をとるのを 見聞きした。自分に言われている気がして、22 歳の時に自ら子宮摘出を申し出た。「子宮筋腫」の診断名 で、子宮の一部と両卵巣を摘出した。(1980 年代前半のこと。肢体障害のある女性) e.生理が始まった中学生のころ、母親から「生理はなくてもいいんじゃないの」と言われた。子宮を取 るという意味だった。子どもを産めなくなると思い、子宮摘出に同意しなかった。(1980 年前後のこと。 肢体障害のある女性) f.妊娠した時、障害児を産むのではないか、子供を育てられるのかという理由で、医者と母親から堕胎 を勧められた。(2000 年代前半のこと。難病および視覚障害のある女性) 過去に優生学的理由による強制的な不妊手術を合法としていた国でも、それが人権侵害であったとし て謝罪・補償を行なった例がある。日本政府も、1996 年に廃止された「らい予防法」が、らいの人々を 強制的に隔離し生殖の権利を侵害したことについて調査を行い、当時は適法とされた被害に対して謝罪 と補償を行なった。 旧優生保護法に基づく被害についても、日本政府はその人権侵害を認め、強制不妊手術、子宮摘出の 被害実態の調査を行い、法的措置をもって被害者に対する謝罪と補償を行うべきである。 規約人権委員会は、そのことを日本政府に勧告してもらいたい。 以上 *事例についての出典、資料 記号 a,e,f は、民間団体「DPI女性障害者ネットワーク」が 2011 年に行った調査によるもので、下 記の複合差別実態調査報告書に掲載している。 DPI女性障害者ネットワーク「障害のある女性の生活の困難―複合差別実態調査」報告書 2012 年 英文ダイジェスト→ http://dpiwomennet.choumusubi.com/english.pdf 優生手術に対する謝罪を求める会「優生保護法が犯した罪―子どもをもつことを奪われた人々の証言」 現代書館 2003 年 DVD『忘れてほしゅうない――隠されてきた強制不妊手術』 制作・著作:優生思想を問うネットワ ーク 2004 年 DVD『ここにおるんじゃけぇ』制作:映像発信てれれ 2010 年