調査報告書を読んで ——「あなたのこと」から「わたしたちのこと」へ —— 愛知大学教員 土屋 葉  「男に生まれていたらよかった」。幼い頃の私は時おり、そんなふうに思うことがあった。しかし、そう思わせたいくつかの出来事について、私ははっきりと言葉にすることなく、年をかさねた。それはおそらく単純に、私にそのことについて問いかける人がいなかったからだ。  そう、まずは問いかけられること自体と、それに応えるという行為自体に意味がある。なぜならそれによって、自らの立ち位置を確認することができるから。そしてそのときに、「どのように問われるのか」も、実は同じくらい大切なことだ。この調査は「困ったこと」「暮らしづらいと感じること」「女性であるために受けた経験」を尋ねる、というかたちで構成され、それが「生きにくさ」という言葉で表わされている。もし「あなたが受けた差別について教えてください」という問いであったら、語られないままの経験もあっただろう。集められた87人の声のなかには、そうしたものが多く含まれており、その意味でとても重く、貴重なものだ。  この報告書を読むと、一見「個人的」な事がらにみえる多くのことが、実は「社会的」な問題であることが、はっきりとみえてくる。身体や家族についての記述に目を向ければ、それはさらに明らかになる。  「レイプされた」経験や「優生手術(不妊手術)を受けさせられた」といった重い経験をはじめ、夫から物のように扱われた経験や、家事や看病ができなかったことで罵られたり、家事よりも仕事を優先しようとすると邪魔されたりしたという経験など、一見、個人的な問題にみえることも実は、「障害」と複合的に絡み合って生じる、「女であればあたりまえ」、「障害者であればなおさらそのようにふるまうべき」といったまなざしのもとに生じている、まさに社会的な問題だ。  「性的なこと」が訴えられ難いのはもちろんだが、それが家族のなかで生じたことであれば、さらに表面化されにくい。家族社会学の分野では、家族の「問題」が語りづらいことが指摘されてきた。それは家族が閉鎖的な空間であることや、家族については他人が口出しできない(たとえば「夫婦喧嘩は犬も食わない」など)と思われていることのほか、「家族」が過度に「よきもの」として理想的に捉えられる傾向にあることが理由である、といわれてきた。  近年、あまりにも重すぎる家族の負担やその限界に目が向けられ、少しずつ「社会の」問題として捉えられるようになっている。けれど、今なお「誰にもいえない」秘めごととされてしまうことも多い。でも、だからこそ、この報告書に記された、たった一人のあなたの声がとても大事なのだと思う。  この報告書をきっかけとして、「あなたの抱える問題は私たちの問題」「個人的なことは社会的なこと」と、多くの人が思えるようになり、また大きなうねりとなって、「社会」に立ち向かえるようになることを期待し、願っている。 障害のある女性の生活の困難―複合差別実態調査報告書」第四刷頒布中。お問合せは、DPI女性障害者ネットワーク dpiwomen@gmail.com まで。